lapinchicの日記

色々思うままに書いていきます。

運がいいとか悪いとか。

この見出しを見て、さだまさしのメロディーが流れた人は昭和の人^^;。多分、今の若い子の脳裏にはよぎらないフレーズなのだろうなぁ。

余計なことから入りました、じつは去年の夏にかなりショックな事が合って以来、なにか上手くいかないことあると、あれ以来ツキがなくなった・・と心の中で思う自分がいまして。
でいつまでその流れは続くのと思いながら過ごす自分と、本当にそんな状態なのかと思う自分とがいまして。  
今日、前からやりたかった家の手入れをしました。冬の間中、ほったらかしで暖房として使っていたエアコン

フィルターとか、夏から全然見てないのでホコリだらけかも・・と思いつつも、このエアコン、冷房時数か月使ったけど、フィルターにホコリが全然つかなかったんですよね。

案の定見てみたら、全然ホコリついてない。ラッキーと思い、エアコンの上部のホコリだけとろうと、ぞうきんを手にし、手を伸ばし拭こうとしても天井高が高いため、椅子の上で背伸びしてもギリギリ届くかぐらい。
無理してワサワサしていたら、椅子がグラっと傾き、落下

その際、溺れる者は藁をもつかむがごとく(?)、本能で落下する際、カーテンレールに手をかけてしまい、カーテンレールが壊れて外れた。
自分は縦に落下したので、転倒はしなかった。外れたカーテンレールを見て、茫然


あ~、もうツイてない!手間が増えた~。と思いながら、ドライバーを持ってきて、元に戻そうと修理にいそしむ。

カーテンの重みがあるとやりづらいからカーテンを外し、構造を考えながら使える状態には戻った。カーテンの開け閉めには支障がない。
外見にも一見、何事もなかったように戻せたけど、レール本体が微妙に反ってしまった関係で、きちっとははまっていない。よく見ると、軽~く10度くらい斜め。
内装は新築状態で購入したマンションで、職人さんがきれいに取り付けてくれていた状態にはもう戻らない。

少しがっかりしながら、もう一つやりたかった棚裏の掃除を始める。収納で使っている小さめのプラケースの棚をどけて、手入れ。掃除は順調に終了。
が、プラケースを元の場所に戻す際、ゆっくりやってるくせに落下。尖った角が床に激突。フローリングに小さな傷がついた。

これまでの住居でのフローリングはとても傷つきやすくて、鍵ひとつ落下しただけでもすぐに傷がついた。が、このフローリングは傷つきづらく1年間住んだけど、色々物を落としたが傷つけたことがなかった。
このフローリングでも傷つくんだ・・・、住み始めて初めての傷に茫然。ちょっとショック。

手入れしようとして、逆に家を2箇所も壊してしまった。思えばいつもそう。最近風邪で、咳を止めるためにマスクをして寝たら、寝てる間にマスクが上に上がり、端が目に食い込み朝起きたら目が痛くなってる。
料理を作れば吹きこぼれて掃除の手間が増える。作った料理をタッパーに移し替えようとしたら、床に汁が落ちて拭き掃除。大事なものを取り出していたら、全部床に落下。一つ行動をすると手間が増えるのは日常茶飯事なのだが。

でも今日は運が悪い、ツイてないと思った。その後、買い物とか用があって外出。そうしているうちに考えが変わってきた。


わたしが踏み台として使った椅子はプラスチックのスツールで、見た目がすごいオシャレなので通販で買った。
プラスチックだけあって、めちゃめちゃ軽い。踏み台として使うには安定性からいって危険な感じがしたため、最初乗るときメチャメチャ怖かった。
なので最初のうちは慎重に乗っていたのだけれど、慣れとは怖いもので、そのうちヒョイヒョイと何にも考えず乗るようになっていた。
今回はそんな軽い台に手が届かないからといって、背伸びをして乗ったのだから、倒れるのも無理がないのである。転倒せずに済んでラッキーなくらいだった。
近くにはごっついテーブルがあり、転倒で角などに当たってたら、大怪我をした可能もあり、部屋の破損もレールどころじゃない何かがあったかもしれない。

時間がたってから、テーブルの角にぶつかって、血まみれになって恐ろしいことになっている自分の姿が頭の中に繰り返し浮かんで来て、背筋が寒くなるゾッとする思いが続いている。

また床の傷も、傷つかないと思っていたフローリングも傷つくことが分かって、今後気を付けて暮らすだろう。傷の場所も部屋の隅の目立たない場所でよかった。


プラの椅子は踏み台として使い続けてはいけないものだった。今思えば、カーテンレールが私の身を守ってくれたのだ。


手をかけることにより落下の速度が落ち、転倒せずに済んだ。
何か上手くいかないとツイていないという言葉が脳裏をよぎるけれど、さらに最悪な結果はすぐ横にあって、じつは救われていたり、気付くべきものに気付くチャンスだったり、逆に助けられていてラッキーだったりするのかもしれない。
恐ろしい事態はいつも潜んでおり、普通に日常生活を送れているということは、それだけですごく幸運なことなのだろう。

そういえば、去年の夏よりツイていないという思いをかかえて過ごしている私だが、今年の1月に駅前で、店前に置いた自転車を取り出す際、隣の自転車の置き方が悪かったせいで、6台くらい玉突きに転倒させてしまった。
ゲ~、ツイてない・・とハンドルの絡み合った自転車をほぐしながら直し始めたら、「大丈夫ですか?」と道行く人が二人くらい寄って来て手伝ってくれた。

ツイていない・・という思いの後の優しさに、私はツイていないんじゃない。こんな風に人に助けてもらっているのに、ツイていない人間のわけがない。そんな風に考えたら、手伝ってもらうようなありがたみに出会えたというのに罰当たりだ。今後、そういう考え方はやめようと思ったっけ。忘れてました。

しくじると、ツイていないという思いが浮かんでしまうけれど、決してそうじゃない。自分は何かに守られている。なんか浅見帆帆子さんの本のような内容になってしまったけれど、今後の戒めのために書きました。
ちゃんとした踏み台買います。