lapinchicの日記

色々思うままに書いていきます。

失恋ショコラティエ

=後世に残したい少女マンガ100選=

チョコを通して愛し合う甘美でスイーツな恋愛
人気漫画なので、だいぶ前から存在は知っていたものの、ドラマ先行で、放映後すぐコミックをまとめ読みした。去年のことと思っていたけれど、ドラマ放映は2年前の1月だったのか。ついこの間のことのよう。
コミックが連載中の為、ほぼ原作に忠実だったドラマも、結末だけオリジナルになり、それが異常に陳腐だったこと以外は、とてもよく出来た面白いドラマだった。
2008年に連載開始、作者が複数の連載を掛け持ちしながらのため、休載をはさみながらの連載のようだったが、7年越しの長い期間を経て2015年、ドラマのほぼ1年後に漫画も連載が終了した。

水城せとなはこの作品が出会いだが、私の漫画人生で大きな出会いとなった。

      
初期の短編、評判のBL作品、放課後保健室を読んだことがあるが、初期短編は平凡でその後の活躍を思わせる面白さや絵の魅力はまだない。初期短編時代、短編連載時代後に書かれたBL作品、放課後保健室は評判通りにさすがと思わせるものがあるが、いかんせんマニアック。
保健室連載終了後に開始した「失恋ショコラティエ」、「脳内ポイズンベリー」は、鋭い心理洞察と独自の視点を持つストーリテリング、過去最高点に到達した華麗な絵の魅力とまみえて、作者の持つゴスロリ的ダークな資質や毒を背後に散りばめつつも、現実の社会の中を舞台とすることによって大衆性を持った恋愛漫画として、映画化、ドラマ化が立て続ける大ヒット作品となった。

失恋ショコラティエ」、「脳内ポイズンベリー」はすでに連載が終了しており、現在は「黒薔薇アリス」のみで、まだ未見だが、こちらは放課後保健室を彷彿させるダークファンタジーのようで、失恋、脳内で見せた新境地がどのように影響しているか楽しみである。

失恋ショコラティエ」は主人公、爽太が高校の一つ上の上級生、サエコに対し、11年以上におよぶ片想いの後、長い恋の想いに決別するまでのストーリーである。

サエコは何考えてるのか分からないが、主人公を振り回しまくるキャラで、サエコを好きと思う読者は少ないんじゃないかと思うのだけど、作者はサエコに対して、否定的な立場で描いているのではなく、自分が男だったら、こういう女の子を好きになるだろうと思って描いているそうである。
サエコを小悪魔的キャラと表現しているのをよく見かけるが、なんか違和感がある。小悪魔というと天然、何も考えていないイメージだけど、サエコはしたたかで計算高く、色々考えていて意識的だ。

だから余計にたちが悪い、サエコは小悪魔というよりアダルトチルドレン、作中にも度々登場する母の呪縛からか考え方が歪んでいる。人に揶揄されるほどの男とっかえひっかえの高校時代も幸せそうでもなければ、うらやましいとも思わないし、男選びにも高校時代はイケメンにこだわり、結婚は社会的条件面(まぁこれは誰でもそうか・・)にうるさそうで、まつりや薫子さんさえも手なづけた恋愛論を偉そうに語っても、本人は結婚してちっとも幸せそうでないし、今後も我慢の人生、つまらない生活を送り、20年後くらいには、爽太がびっくりするくらい魅力のないオバサンになっていそうだ。
爽太がサエコが結婚することを知った時、この女が一人の男でおとなしく結婚生活を送るキャラとは思えん!と思ったのとは違い、結婚観は重く堅そうで、男とっかえひっかえの色情狂ではなかったようだ。

思えば冒頭の失恋シーンも、サエコは彼氏をとっかえひっかえと短いつき合いばかりだったと思われ、彼氏にもほっとかれていた状態だったわけで、歴代の彼氏達とは、とてもいい愛情関係を持った間柄とは思えない。
爽太が渡した手作りチョコを泣きながら「受け取れない」と言ったのも、サエコが落とそうと媚びて手に入ったものでない、自分を想う真っすぐな感情に対する畏怖の念からだったのかもしれない。

高校生の時の爽太は、サエコの求める条件に満たない部分の多い男の子だった。しかし爽太がショコラティエを目指すきっかけになるほどチョコ好きなサエコは、爽太の才能のあるショコラティエとしてのポテンシャルやチョコに込められた想いや意図を感受できる能力を持っており、一つ食べるごとにチョコに恋しながら、歪んだ心の扉を開く鍵を持っているような存在として、爽太が引っかかっていた。

だから帰国後、人妻なりたてでありながら、爽太の周りを物欲しげにうろつき出す。
爽太が近づくとかわし、離れると寄ってくる。まるでおちょくってるように見えるが、小悪魔というより恋に臆病な人間の行動そのものだ。爽太からすれば何回も頂上から突き落とす、訳の分からない存在だと思うのですが。
まんざら爽太の一方的な恋ではなく、サエコも爽太に惹かれていて、2人は縁のある関係だったのだと思う。それが安定した形を手に入れられなかっただけで。ある意味、サエコの旦那さんよりもずっと濃い縁。
爽太は「哀」や「せつなさ」の感情をチョコ作りにぶつけ、サエコはチョコを通して、爽太の愛を甘受する。誰も立ち入ることが出来ない、チョコを通して愛し合う甘美でスイーツな恋愛。

本人も度々作中言っていることだけど、サエコへの想いを通し、爽太はショコラティエの才能を開花させる。
この作品はサエコのモノローグがないため、サエコの爽太への想いを言葉ではっきりと示す場面はないが、一人でいる時の爽太を思う行動や表情から、爽太に恋をしていたのがうかがわる。

不幸な結婚生活から逃れたくて、爽太のもとに飛び込んだものの結局いつものように離れてしまったのは、夫の子供を宿してしまったからもあるが、なくても離れて行ってしまいそうだ。
自分を大切にしてくれて、自分を愛して尽くして優しくしてくれる爽太との生活は、サエコには明る過ぎて、一方的に与えられ過ぎて、受け取れない。受け止められない。
心のどっかで、それが幸せになる鍵だよと教えてくれる声が聞こえてくるのだけれど・・。歪みを・・越えられない。

サエコが爽太のもとに転がり込んできて、やっと恋する相手が手元に来たというのに、爽太はサエコに対し懐疑的で戸惑うばかりだった。千載一遇のことなのだから、爽太には後悔の無いようにもっとぶつかっていって欲しかった。
具体的に詰めたり、どういうつもりだったのかとか、自分の事はどう思っているの?とか、男に面倒がられるうっとうしい女の典型的なセリフのようだが、正面からはっきりと問いただして欲しかった。爽太のもとにサエコが来た時にはすでに爽太はサエコに疲れ切っていて、これ以上傷つくのがこわくて期待をしなくなっていた。そういうのも恋愛では、よくあることだけれど。


ここまで長々と書いてきて、既にレビューも終了かと思いきや、全然、まだ書きたかったことが書けていない。
サエコと爽太の関係がどうであるとか、サエコのプロファイリングなどは、じつはどうでもいい。私がこの作品で、重要だったポイントは全然そんなところじゃなかったから。


この作品で面白かったのは、恋する人間の心理描写だ。特に恋人でない相手に対するものは、さすが「失恋ショコラティエ」というタイトルだけあって秀逸だ。時には独りよがりで、期待し高揚し意気込み、相手の感情を推理し駆け引きし、会えない間がほとんどで、その間の孤独、そして恋する相手への真っすぐな想い。
爽太と似た長い片想いのような特定の相手への執着した想いを抱えて苦しんだ経験があるせいか、この漫画はまるで自分の心情を代弁してくれているように感じ、爽太は同じ苦しみを抱えている同志のような存在だった。
特に、5、6巻にかけての告白を前にして、一番素直にサエコへの想いに真っすぐに向かい合う、一途な爽太の感情も、結局は届かず実らずドロドロに汚されていく。恋の残酷さ。

それからサイドキャラの恋も丁寧に拾っており、薫子さん、オリヴィエ、まつりなどの恋の心情も細かく描写されていて、色んなシチュエーションでの恋を体感出来る。共感できる感情がきっと見つかるはずだ。
そして読後感は結構重たい漫画なんだけど、じつはギャグも多く、たいがいは結構明るいのもこの作品の魅力だ。恋する心理は時に間抜けで、結構滑稽なものなのだ。
エレナに関しては、そんなに触れない。最初から、爽太狙いと思われるため。爽太のサエコへのような執着する関係ではなく、数回あっただけの倉科さんへの片想いって全然重くないし、片想い同盟を組み、同志として仲良くしようと誘いセフレになるが、嘘くせえ。気に入った相手を落とすのに恋愛相談って、きっかけとして結構あるんだって。本能的に狙ってた気がする。

恋はチョコのように、苦くて甘くて、食べたくて止まらない。恋のほろ苦さに疲れている人には、ぜひ読んでもらいたいです。