lapinchicの日記

色々思うままに書いていきます。

ぼくの地球を守って

ぼくの地球を守って 1 (白泉社文庫)

ぼくの地球を守って 1 (白泉社文庫)

 

SFの意匠をかぶったリアルな恋愛劇


1987年 - 1994年の人気SFコミック、連載終了からもう18年にもなるのか、嘘~お、はやいなぁ。
全巻持っていたけど、マンガ在庫ありすぎて、巻数多いんで古本屋に売ってしまった。でもまた読みたくなった。こうやって、いったん処分して、また読みたくなってしまうマンガがある。そしてまた買いなおすこともあり・・。

いまはまだ買い戻してないので、ずいぶん前に読んだ記憶の残りしかないけど、無謀にもレビューしようと思う。
6人の高校生と1人の小学生、現世でも知り合った7人がじつは過去世で月から地球を観察する異星人の研究者たちだったという設定で、現世と過去とからめた7人の愛憎劇がこのマンガのストーリーである。

ヒーローとヒロインとなるメインの現世の二人の初顔合わせ、小林凛の登場シーンで、まさかこの小学生が相手役とは登場した際、全く思わなかった。しかし、1巻の展開をよく読むと、思いつきで小学生を相手役にしたのではなく、最初に設定済みと思われ、あのお軽い登場の仕方も作者の意図と思われる。
つまり大恋愛の相手も、前世の記憶なければただの子供で、主人公も生活観あふれる普通の庶民な子で、ドラマチックでもなんでもない状態というのを出したかったんだと思う。

小椋迅八のほうがヒロインの相手役か?と思わせる人物だったのに、読み進めると偽善者でどんどんイヤなヤツになっていく(笑)。そうなのだ、このマンガ、好きなキャラがいなく、イヤなキャラばかりなのだ。
決して巻数多いだけで売っぱらったりしない。私が好きなマンガと呼ぶのには条件がある。それは好きなキャラクターがいることだ。人間的にこのキャラ好きだな、と感じることが大事なのだ。私はいいヤツが好きだ。だから私は宇宙戦艦ヤマトは大好きで、ガンダムは苦手なのだ(シャアはいい男だと思うけど・・)。

亜梨子も輪も木蓮、紫苑も嫌いだ(←ヒーロー、ヒロインです)。それでも読み直したくなるものがこのマンガにはある。

人は人の心は見えない。木蓮と紫苑はお互いに恋しあっているが、相手に思われていることに気づかない、分からなくて苦しむ。そして2人とも相手に愛されていないと思ったまま、死んでしまう。
2人が惹かれあっているのを外側から眺める読者だけが知っている。このような思い違いは現実の恋愛にも山のようにあるだろう。だって人の心は見えないんだもん。

転生することにより、自分の過去を外側から見ることが出来たため、2人はお互い愛し合ってたのを知る。そして現世でハッピーエンド。
現実は転生して気づくなんてことはまずないだろうから、木蓮と紫苑のような悲劇がゴロゴロしてるだろう。
また悲劇じゃなくても、ようは愛情の解釈、受け止め方は本人しだいで、例えば愛されてなくても、思い込みの強い人、考えないタイプは愛されてると解釈してのほほんとすることもあるだろう。
逆に木蓮紫苑パターンで、自分に自信のない人は、愛されてるのに不安が消えなかったり、愛されてないと解釈して苦しむ。

木蓮と紫苑の自己解釈の間違いによるすれ違いは、リアルに冷静に描写してあり、全般的に前世7人の人間関係はリアルで、壮大なSFの世界だけど、中身はロマンのかけらもないリアルなのがこのマンガの面白いところだと思う。
考えてみるとマンガにリアルを求めてないんだろうな私は、素敵なロマンがみたいんだろうな。
少女誌ながら木蓮と紫苑のセックス描写などもあり、あの残酷でつらいシーンは男と女の1場面を見事に描いており、素敵でもなんでもない冷徹なあの場面はすごい。『紫苑がわたしに愛していると嘘をついたのよ・・・』の台詞は悲しい。

柴門ふみのマンガもそうだけど、好きとはいえないけれど、そのリアルな恋愛劇に再読せざるを得なくなる。
こちらはド・SF大作で、一見そうは見えないけど(笑)。また読みたくなってます、どうしようかな。