lapinchicの日記

色々思うままに書いていきます。

白線流し

白線流し DVD-BOX

白線流し DVD-BOX

  • 発売日: 2002/04/17
  • メディア: DVD
 
スペシャルも含めて全てリアルタイムで観て、さらにビデオで何回もリピートしている作品。
とても大好きなドラマで、後世に残って欲しいドラマであることは間違いなし。
最近、何年か振りに本編とスペシャルとまとめて再見しました。
内容は全て知ってるものの、また違った感じ方、見方が出来て面白い。
            
本編が放送されたのが1996年。冒頭がミスチルのコンサートで、しかもesくらいの時期なのが看板で分かるし、主題歌「空も飛べるはず」がブレイク後のスピッツだったなとか思い出せば、放送当時観ていた方は、自分が何才で何をしてたか思い出しやすいでしょう。

古いようで新しい90年代、当時の時勢と比べるとちょっとレトロな高校生のドラマという感じだったけど、時間が経って見直すとレトロ感は消え、全然古びないドラマになってる不思議。

長年このドラマを青春群像劇と捉えていて、主人公に限らず、仲間まで含めて、それぞれの生き方などを描いたドラマに見ていたけど、久し振りに見直してみると、大変胸キュンドラマとして感じてしまった。
園子と渉は、恋愛色が薄いように思っていた。すっとこどっこい、園子の恋心はしっかり描かれているじゃないか、なんで気付かなかったんだろうという感じ。

家の電話から十円かき集めて電話したり、怪我した渉を絶対離さず担いで連れて行こうとするところや、目線、行動全てに、いつもいつも渉を追ってる園子ばっかり見えてきた。好きと言い合ったり、キスしたり、ベタベタしたり、嫉妬してごねたり、不安になって文句言ったり、そういうのがないから気付かなかったのかなぁ・・。今見直すとすごくドキドキして見ています。

高校を出ても遠距離恋愛で、ラブラブという感じじゃなかったし、夢とか生き方にばかりやたらこだわる園子が理解出来ず、好きならいっぱい一緒にいたいのがまず第一でしょう??なんて思い、園子が渉に恋してるのか、よく理解出来なかったんだけど、高校を出るくらいの時はみながそれぞれの進路に分かれていく年頃で、同じ道を生きれるわけではないから、相手を理解し、離れた環境で普段は自分の道を生きる形も、このくらいなら自然かなとなんか理解出来るようになった。私も私の友達もこのくらいの年の時、好きな人にどっぷりはまる時期だったため、昔は全然理解できなかったなぁ。観ていて自分だったらという考えが強すぎたのかも。

園子は愛情をとても受けて育ったいわゆる「ええとこの子」、私とは違う性格の子と思ってみていたが、今になって見直すと確かに違う性格だけど、気持ちの分かる部分がすごく増えたし、理解出来るようになった。というより見習いたいと思う部分が沢山あった。

茅乃には負けてるといい、美里には素敵な人と決してドロドロせずあっさり認めてしまう、素直な性格というか、私はライバルの女性はボロクソに言う(笑)。

恋の視点から見ると結構、園子は悲惨だ。渉は「お前なんか遊びだよ」といって茅乃と同棲しちゃったり、お世話になったはずの園子の父の葬儀にも顔を出さない、海外行って帰ってきたら、他の女性と結婚。

関係がなくなっても渉の大切な場所、天文台がなくなりそうになるのを食い止めようと動く園子。渉、それにも遅れてくるし。
けど、一切責めず、受け入れる。相手を責めない行為は、嫌な状態の事実を認めたくなくて逃げの選択としての場合や相手を繋ぎ止めておくためのしたたかな選択の場合があるが、園子の場合、そういうのではない。いつもほんとに相手を理解しようとして、無償の愛を感じる。なかなか私には出来ないなぁ・・。

きれいな気持ちで人を愛することを知りたい時に今後も手にとって見直すだろう。

(物議をかもした渉の結婚、海外から帰ってきて、自分の道のはっきりしないまま園子の前に顔を出しづらい、また一緒にいて欲しいけど、園子の生きる道の邪魔になりたくないと一緒にいられない寂しさから結婚を選択したのでは?と私は解釈しています。渉のスペックで美里に対する可哀想だから結婚してあげるみたいな上から目線で結婚を選択し、美里の親戚に生計の糧をたよるような形での結婚って、ずいぶんしたたかでどうなの?と思いましたが、知り合いで同じパターンの人がいて(生活力無いのに惚れられて可哀想だから結婚したという人がいる)、男性心理としてなんかリアルに感じるようになりました。男って弱くて、単純だから!)