lapinchicの日記

色々思うままに書いていきます。

愛があればいーのだ

 少女漫画とはお花畑の世界ではない

 

少女漫画とはお花畑の世界で主人公と彼が恋をし、真っ直ぐにお互い愛し合いめでたくハッピーエンド、そんな浅いもんじゃない。恋する人間の摩訶不思議で複雑な感情を描いていたりもするものだ。なんてことを、この漫画を久し振りに再読して思った。
        
いくえみ綾は乙女チックでない、現代的な作風で人気を得た、かつてのマーガレットの看板作家。トーンの使い方が格好よく、女の子も絵が可愛くないし、女の子女の子していない話なところが好きだった。

なかでも作者の好きな奥田民生そのものといえるような男キャラの顔の時期、いわゆる民生期が好き。そんな民生期の最盛期に書いた、モロ民生顔の由輝が主人公の漫画、「愛があればいーのだ」。

高校時代のクラスメイトで、クラスでかわいいけど地味なおとなしい存在の美津子に恋をし、一時期は毎週デートする関係にまでなるも、ちゃんと付き合ったり、恋人同士であったわけでなく、おっとりとした由輝はぼんやりと幸せな時間を過ごしていたら、クラスが変わり自然とデートも出来なくなる。
彼女はクラスが変わった後、他の男の子とつきあいだし、その後、自分の夢、女優になることを叶えるため、芸能活動するために転校していく。

その後、すぐに彼女は女優として人気が出て、由輝は高校卒業後、専門学校を出てADの道に。そしてドラマの仕事で女優とADとして美津子と再会。

由輝はただフツーに一途に美津子を想っているだけなので問題ないのだが、不可思議なのが美津子。
本人いわく、高校時代は恋愛感情ではなかったといっているが、自覚の仕方の問題で由輝には特別に濃い感情を持っていたのをうかがえる。
エピソードからもその感情を見つめるのが怖いくらいの強い何かを感じていたはず。
だのに由輝を避け、高校時代付き合った軽そうなジャニーズ系の坂口や女優になってから好きでもなんでもないオヤジなどと関係を持ったりするのはナゼなのか。

誰かを好きになった時、その人との交際であったり、結婚であったり、しゃにむに両想いを目指すばかりが恋ではない。

自分が変わってしまう不安、
感情的に不安になりやすくなったり、
反対にかつて感じたことのない幸福感や安心感を感じることの恐怖。
それから逃げたくて、自分の感情にフタをしたり、相手から逃げたり。

好きな人と一緒にいたい感情と、逃げたい感情とが行き来して、結果的に由輝を振り回しているような形になってしまう。

最終的に美津子は自分の感情を認め、由輝への想いを伝え一緒になる。
ずいぶん美津子は性格ブスな行動を繰り返していたから、よく受け入れてもらえたものだと思う。女優になるほどの魅力が勝ったのか、高校時代の貯金が生きたのか、それだけ由輝に惚れられていたということだろう。大変、愛されてうらやましい限りです。美津子への愛が他の男性との過去も無問題といえるくらいに。で、タイトルの「愛があればいーのだ」に繋がる。

その後の様子は少し描かれているだけだけど、それまで自分の感情にフタをすることで、弱くて暗い自分を変えようとしていた美津子であったが、自分の想いと向き合った今のほうがより強く明るくなれているに違いないとちょっと想ったりする。


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 愛があればいーのだ(全2巻) 1992年 集英社 マーガレットコミックス
 愛があればいーのだ 2006年 集英社文庫―コミック版